どうも、カメダです。
これからどうなるかちょっと自分でも想像つかないのですが、おそらくこれから書き方のスタイルが変わると思います(笑)
というのも、そういうことを書いている人は他にもいらっしゃるし、特段珍しいことを書いていたわけでもありません。
それに、実際ちょっと苦しかったりしたんですよね。
ネタもそんなに出てくるわけでもないですし、アドバイザー的なことをやりたいわけでもないからです。
なので、とりあえず読みたいことを書く感じになっていく気がします。
コーチと話して思い出した原体験
こういうことに気づいたのも、コーチと話をしていた流れでした。
テーマが決まっていたはずなのに、脱線に脱線を重ね、僕のコミュニケーションの定義の話になりました。
ぼくは、「コミュニケーション能力が低い」と言われてきました。特に大学生のころかな。
なぜなら、イジラれキャラなのに、それをうまいこと拾って場をよくするようなことが返せなかったり、あんまり自分の主張をしたりしなかったからです。
よく言われる「典型的な日本人」を地で行ってました。
コンプレックスってやつかもしれないです。
で、このことからわかる僕のコミュケーション能力が高い人の定義は、「話が
上手い、周りを話術で明るくし、笑われるのではなく笑いをとれる人」でした。
実際、口が上手いやつがモテたw
でも、その時コーチはこうフィードバックしたのです。
「でも、コーチって話聞く人じゃん?ぶっちゃけ、今すごく話しやすいんだけど」
ほう…
で、ここから僕のコミュニケーションがスパークした過去を思い出したのでした。
中学時代のあの娘になんか知らんが呼び出され
もう20年ほど前になりますか。
高校に上がりたてのとき、ぼくが中学のときにそれなりに仲がよかった、いや、正直に言おう、片思いしていた娘からなにやら突然相談したいと連絡を受けたのでした。
まあ、高1の青二才ですから、胸が高鳴ったことは間違いありません。
でも、何やらただならない感じだったので、うれしさよりも不安のほうが大きかったのは今でもよく覚えています。
で、久しぶりに会いに行ってみると、「その子、その子の友達(初対面)」がいて、結構深刻な相談をされたのです。その子の親にまで「よろしくお願いします」と言われる始末。
頭には?がいっぱい。
プライバシーにかかわるので詳細は割愛しますが、なかなかに重かった。高校生が背負うには結構な重荷。
専門機関に相談しろって今なら言うw
でも、僕は一生懸命聞いたんだ。
で、出た言葉は「お、おう、わかった。。ちょっとやってみる」
内心はこうだ。
「おれよえええええ…もっと気の利いたこと言えればいいのにいいいいい。。なにが、おう、だよ、、そういうとこだぞ…!!」
まあでも、当時の僕にはそれが限界だったのだ。
で、そのときの僕にできることをない頭を使って考え、とにかくやってみた。
やった結果どうなったか。
なんと解決した。
でも、いわゆる問題解決とは毛色が違うのだ。
風の便りで聴いた
実は、僕がこの相談してきた娘と次に再会するのはかなり後のことなのです。
それなりにやれることはやったものの、直接的に何らかの働きかけができたわけではなかったので、僕は結構心配してたのだ。好きな子だったし。
だが、そんな僕の気をよそに、その問題はわりと早々に解決され、その子は優雅かつ軽やかに前に進んでいたのだ。
僕は、その後のことについて報告を受ける権利があったと思うが、それはなかったし、何ならその娘はほぼ覚えていないレベルだったのだ。。
その当時「承認欲求」なんて言葉は知らなかったが、「もう少し報われてもいいはずだ」とは思ったはず。
そして、それくらい許してほしいw
まさか、次に進んでいるなんてことを風の便りで聴くとはね。
でも、当時の僕の心は純粋だったんだね。
「あーそうなんだ、よかった」って確かに思ったのだ。
歴史は繰り返す
これだけだと、「お前と話した後になんかあったんじゃないの?」と思うかもしれない。
ぼくもそう思った。
だが、不思議なことに、そんなに数は多くないが、わりと同じ構図の相談が年1くらいで降りかかり、やはり勝手に解決するということがあったのだ。
覚えているだけでも5回はあった。
やはりいずれもぼくがとったコミュニケーションはこうだ。
・とりあえず気が済むまでしゃべってもらってそれを聞く
・何も言わない(言えない)
・「お、おう」で締める
マジでこれだけだ。
それなりに仲がよかったから、もっと何か言ったかもしれないが、話が重すぎて安易にアドバイスなんてできないのだ。
だから、まず間違いなく気の利いたことは一つも言っていない。
そんな感じだから、たぶん、自分と話したことで勝手にすっきりして、勝手に頭が整理され、勝手に動き出して勝手に解決したんだろう、というのが僕が出した結論なのだ。
コーチとしての理想の在り方
これらのエピソードによって、ぼくの承認欲求が満たされることなど1つもなかったのだけど、今思えば、これは僕の理想のコーチ像かもしれないと思ったりするのです。
なぜなら、コーチは基本的にアドバイスをせず、話を聞き、時に質問し、フィードバックを駆使することでクライアントの自走力を高めるのが役割だからです。
つまり、かつての僕はおそらくそれが無意識にできていた可能性があり、そのことが、僕をコーチングへと駆り立て、コーチとしての支えにもなっているのだと気づいたのです。
コミュニケーションの在り方は一つではない
このエピソードには、当然僕の承認欲求も入っているのですがw、もっと言いたいのは、コミュニケーションの在り方は決して一つではないということです。
おそらく、ぼくと同じようにうまいことが言えず、話がめちゃくちゃうまい芸人みたいなやつしかコミュ力が高いなどと言ってはいけない、みたいに思い込んでいる人は、決して少なくないと思うのです。
でも、決してそんなことはない。
「何も言わずに聞く」
これだけでも、コミュニケーションとして十分に成立することがある。
そして、コミュニケーションはもっと多様でもあると思うのです。
かつて、コーチングのことを知らなかったカメダ少年がやったこともコミュニケーションの一つなのだと、コーチングを学んだ今のカメダならわかる。
大切な人のためだけの時間を提供することができる
もし、自分のコミュニケーションに自信がないのであれば、だからこそ、コーチングを学んでみてほしいです。
それは、あなたを変えようというのではない。
今、あなたが持っているコミュニケーション能力だからこそ、できることがあるはずだからです。
そのためのサポートを、僕はしたいと思うのです。
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