どうも、カメダです。
このところ、アスリート色が低いブログになっていますが、相変わらずアスリート愛は強いので、そんなブログもたまには書いていきたいと思っています。
ということで、久しぶりにアスリート関連で気になったことが続いているので書いていきます。
アスリートに突き付けられる言葉
これも、アスリートの周辺が自分の勝手な視点を押し付ける悪しき風潮…
— カメダナオト@コーチ (@NK_eng) November 4, 2019
1人の人としての権利があるんだから、お門違いもいいところなんですよね…
自分都合のアスリート像を押し付けるのはやめてほしい。
高梨選手も奥原選手も応援しています。 https://t.co/QEi6kS76Gx
アスリートは、どうしても目立つ存在のため、あることないこと言われたり、「あるべき像」みたいなものをおしつけられたりしがちです。
上のこのツイートもそうです。
tweet主はバドミントンの奥原選手ですが、きっかけとなった記事はスキージャンプの高梨選手の化粧がどうのこうのという内容です。
化粧がどうとかって、女性であれば普通に気にすることじゃないですか。
それがアスリートになると「調子に乗っている」という誹謗中傷(あえてそう決めつけます)になってしまう。
パフォーマンスとの関係をもっともらしく指摘しますけど、自分の中にあるべきアスリート像みたいなものがあって、そこから外れていると言いたくなるだけです。
ちょっと勝てなくなると、パフォーマンスの質以外のところに言及するのも、スポーツの何たるかをわかっていない証拠でしょう。
要するに、自分の考えと合わないから気に入らない。
そういう視点の少なさが招いている悲劇と僕は思っています。
自分たちの普段のコミュニケーション
転じて、僕たちの普段に目を向けてみると、こうした「自分の中の常識」で他人をジャッジしてしまうことが実に多いなと反省します。
言葉にしなかったとしても、心の中でざわつきがおきたり、感情を乱したりしてしまう。
相手には相手の価値観があり、考え方がある。
自分にだってあるのだから当たりまえですよね。
でも、その圧倒的な事実を僕たちは忘れて、同僚とコミュニケーションをとったり、部下につらく当たってしまったりすることがある。
そうされた相手はどう思うでしょうか?
信頼を崩すのは一瞬です。
コーチングがあったから反省できる
コーチングを学んだおかげで、僕はマシにはなったもののまだまだだなと思うことは多々あります。
最たる場面は子育てですね。
どうしても瞬間湯沸かし器的に頭に血が上ってしまうことがあったりなかったり…
後で反省しきりなわけですが、同時にコーチング学んでおいたおかげで反省もできるというもの。
僕たちは、人と人の間にいるからこそ、自分でいられる。
だからこそ、他者とのコミュニケーションは本来学んでいかないといけないという決めつけをして、本日は終わりたいと思います。
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