自分の本質は変わらないけど見える世界は変わるかも

お疲れ様です。亀田です。

普段はサラリーマンかつコンサルタントです。

いや、これだとサラリーマンとコンサルタントが並列関係になっていて国語的に誤りですね。正確には、コンサルタントという職のサラリーマンです。

並列のイコールではなく、直列のイコールの関係。

国語的に大事なところ。

最近、妻が国語の学習を始めていて、勧めた手前この辺は正確にしておかなければならないのではないかと、「普段、ねばならない思考から解放されよう」と、粘らないことを心がけているのでいろいろと矛盾してきています。

前置きが長いですね。うざいですね。

私のアイデンティティ

上記の通りコンサルタントをやりながら、プライベートではコーチをやっています。

どっちかというと、プライベートでやっているコーチとしての要素をもはやコンサルとしての仕事に持ち込んでいるので、コーチ比率のほうが高いかもしれない。

だんだんと、己が何者なのか、よくわからなくなってきます。

アイデンティティはいずこへ。

しかし、よくよく考えてみれば、私自身は人の子であり(たぶん)、人の夫であり(おそらく)、人の親であり(きっと)、コンサルでありコーチである。

誰かにとっては友人で、誰かにとっては敵(かたき)かもしれず、憎むべき相手になっているかもしれない。その倍くらい、好きと言ってくれる人のいる(はず)。

ここでふと思う。

私は何者か。

そんな問いに、特に意味なんてないのではないかと。

別に誰も今このタイミングで私に問うてなどいないですが、まあいいじゃないですか。話をすすめよう。

自分であり自分でない

要は、日々生きていれば、瞬間瞬間で色んな顔をした怪人二十八面相的なところがあるもので、その実どれが本当の自分か、わかったもんじゃありません。

スポーツを観て「なっちゃいねえな!!」などと自分にはできない癖に野次を飛ばしたくなっている自分もいれば、マイコーチのフィードバックに切り裂かれて血を吹き出している自分もいる。

どれも自分であり、自分じゃない自分など自分の中にはいない。あれ、自分自分言い過ぎてややこしくなりましたがつまりはそういうことです。

言っちゃえば、どれも自分であって、どれも自分じゃあない。

感覚的には大体がそんな感じでしょう。

何かに変わりたかったわたし

ではなぜ、あの頃の私は「変わりたい」と願い、引き寄せなるものにすがり、自己啓発書を読んでは目から鱗を落として、2秒後には目に落とした鱗を貼り付け直していたのだろうか。

いったい、私は何から何に変わりたいと願ったのか。

年齢を重ね、人の夫になり、親になり、老けて痛風になりかけていること以外、事実として特に変わったことなどはないかもしれない。変態なところはあるが(自己開示)。

根本的なところでは、私は特に変わっちゃいません。

どうひっくり返っても、私は仮面ライダーWの菅田将暉さんにはなり替われないし、フィリップにはなれないし、変身もできない。

これが、仮面ライダーフォーゼでも同じだ。福士蒼汰さんになりたい人生だった。わけでもない。本当だぞ。べ、別にあんなイケメンになりたいわけじゃないんだぞ。

私は私だ。どこまで行っても。

表現を変えてみる

とはいえ、自分自身が持っているライトサイドはさらに光るように、ダークサイドは表面化しないような努力はしてきていて、いや、できてない時期もあったしちょいちょい漏れるけど、日々その意識はしている。

表現を調整する。

表現を変えていく。

これに関しては、PDCAサイクルを回してワークするようにパーパスを設定してオポチュニティを捉えて自分をアジャストさせてトゥギャザーしているつもりだ。

つまり、努力はしているということ。

それが証拠に、これまでとの文体の違いに気づいた稀有な人はいらっしゃるだろうか。この文脈の努力とどうつながるのか、自分でも説明がつかない。

書いていて、自分でも「痛い」と思っている。みなまで言わなくていいからな。

そう思ってるのだが、その一方で「楽しい」と思っちゃっている自分もいるのを感じている。

しかし、ここは私のフィールドだ。共感してくれる貴重な方がここまで残ってくれていたら本望である。

エセ哲学に浸らない

言いたいことがブレブレになってきているが、人は「変わりたい」と言いながら、この私のように一体どんな自分から、どんな自分への変わりたいと願うのか。

曖昧極まりないということ。

曖昧ということは、結局何するかも決まらないから、一日を本当になんか難しい、もっともらしいことを考えているつもりになり、世の中を斜に構えてそれらしいことを思い、哲学的に悩んでいるかのようなフリをするのみだったりする。

悩んでるおれ、かっこいい…

みたいな。

関係性を変えていってみる

ただ、何も具体的でないから、何か思考や行動が変わるわけでもない。つまり、現実が動くこともなければ、当然自分が変化していくこともない。

そしてまた、勝手に自分に絶望し、無理解だと周りのせいにし、世の中のせいにしていく。

無理解なのは、まず己自身だというのに…

ただ、そういう過程を経て、今の私はここにいて、本業においても、コーチ業においても良き出会いに恵まれ、よきクライアントさんに恵まれ、ありがたくもサポートをさせてもらっている。

なりたかった自分はどんなだったのか。そして、どうなっていきたいのか。

考えていくことは大事かもしれないが、考えてもわからないのであれば、今目の前の人に全力で貢献しようとするしかないのではなかろうか。

変化を起こそうと奮闘する目の前の大事な人たちの話を聞いて、聞いて、聞いて、ちょっと話してみて、そこにどんな変化が生まれていくのか。

人が変化するというより、関係性が変化していくその過程を、どれだけ決めつけたりせずに見ることができるか。

そして、自分自身は目の前の人とどんな関係性を築いていくのか。

変化を起こすとすれば、自分の内面どうこうもいいのだが、結局人間関係を避けては通れず、悩むのだって喜ぶのだって人間関係の「関係」においてなのだから、関係性を変化させていくことを考えていきたいもの。

自分がどう変わるかなんてもしかたらどうでもいいかもしれない。

関係性が変われば、見える世界だってきっと変わり、あの頃の自分を変えることに必死だった自分とは違うところにいるんじゃないかと思う。

ここまでのふざけた文章を最後まで読んでくれたあなたとは、どんな関係性を築いていくことができるだろうか。

けっこう楽しみだ。

スポンサーリンク

ぜひシェアをお願いします

メールマガジンに登録!

メンタル言語化ワークアウト 読者登録フォーム

ABOUTこの記事をかいた人

2017年前まで大企業で人事・総務、営業を経験、その後、WEBマーケティングのコンサル会社に転職。現在に至る。 会社やクライアントにコントロールされている感覚が抜けず、すべてに受け身な状態になってしまっていました。そんなときにコーチングに出会い、自分の人生を自分でコントロールし、自分株式会社の経営者として人生戦略・キャリア戦略をもつことが大事だと築き、自らを変え、コーチングによるサポートも行っています。 「会社員だから」「フリーランスだから」ではなく、自分が納得できるキャリアや人生を描くサポートをしていきます。 これからは、ビジネスマン・アスリートをコーチングでサポートしながら、学校教育にもコーチングを拡げ、変化の激しい時代を力強く進んでいくためのコンパスを子どもたちに提供してきたいと考えています。