人の挑戦を笑うものは決してトップにはなれない

先日、ストレッチ専門店の体験に行ってきました。

ほんの5分程度のストレッチ体験だったのですが、ものすごい威力なんですね。

その時はちょっと腰が痛かったのですが、その日いちにちは問題なくなるくらいに痛くなくなりました。

翌日にはやはり元に戻ってしまうのか痛くなったんですが、これは通ってしまいそうです(笑)

ちなみに、「好転反応」みたいのってあるんですかね?詳しい方、教えてください。

人の挑戦を笑うものありけり

スポーツ界に限らないのかもしれませんが、世の中には人の挑戦を真剣に心配し止めるだけならまだしも笑う人がいます。

海外でプレーした選手がいい結果を残せずに日本に帰国したりすると「ほらやっぱりね」とばかりに嘲笑する。

身の程知らずだと客観的に思ったとしても、「どうしても挑戦したいんだ」というその選手の思いを止めることは誰にもできないし、ましてなんで笑えるのかと不思議な気持ちと憤りが入り混じった複雑な感情になります。

お前に笑う権利などない

彼ら挑戦した人たちを笑いの対象にできるということは、その人はものすごい挑戦と成果を残してこられたんだと思います。

それであれば、僕などが「不愉快だ」などと思うことの方が間違っているんだろうなと思います。

が、実際はそんなことないと思うんです。

自分なりに「大きな挑戦」だと思うようなことをやってきた人は、その時の不安や葛藤などが思い出されるから応援こそしても笑うことなどしないでしょう。

僕は「やったことないことを語っちゃいけないのか」という声には「そんなことはない」と思います。

例えば、「政治家になったことがない人が政治を語ってはいけないのか」というとそんなことはないでしょう。

ただ、「挑戦したことないものが挑戦したやつを笑ってはいけないのか」という声には「断じてダメだ」と答えます。

そんな権利は誰にもないんです。本来は。

トップになりたければ

トップアスリートに自分もなりたいんだ!と思うなら、人の挑戦を笑うべきではないし、笑っている場合でもありません。

トップに立つ選手はすべからく何らかの挑戦をしているし、トップに立っている選手が他人の挑戦を笑っているのを見たことがあるでしょうか。

ないですよね。

これはもう「あり方」の問題ですが、まずどういうトップアスリートがどういうメンタリティやパーソナリティを持っているのか、どういう選手がトップアスリートとしてふさわしい言動をしているのかをきちんと見極めたいところ。

まずはそういう「あり方」の部分から盗んでいくんです。

そうすると、自然とトップアスリートがどういう風に体に気をつかっているのか、とか、どういう風にトレーニングしているのかとかが気になりだすはずです。

「器」というやつですね。

この器が大きくなればなるほど、トップアスリートに近づける。

僕はそう思っています。

まとめ

ちょっと固い話になってしまいました。

ネットの誹謗中傷に耳を傾ける必要などないのですが、そっち側の人間にアスリート自身が立ってしまうとろくなことにならないなと思ってテーマにしました。

さて、どうでしょうか?

ご自身の胸に手を当てて反芻してみてください。

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ABOUTこの記事をかいた人

カメダ ナオト

2017年前まで大企業で人事・総務、営業を経験、その後、WEBマーケティングのコンサル会社に転職。現在に至る。 会社やクライアントにコントロールされている感覚が抜けず、すべてに受け身な状態になってしまっていました。そんなときにコーチングに出会い、自分の人生を自分でコントロールし、自分株式会社の経営者として人生戦略・キャリア戦略をもつことが大事だと築き、自らを変え、コーチングによるサポートも行っています。 「会社員だから」「フリーランスだから」ではなく、自分が納得できるキャリアや人生を描くサポートをしていきます。 これからは、ビジネスマン・アスリートをコーチングでサポートしながら、学校教育にもコーチングを拡げ、変化の激しい時代を力強く進んでいくためのコンパスを子どもたちに提供してきたいと考えています。