おそらく、こんなブログを読んでいるくらいですから、自分には夢や目標がある!と言える人が多いと思います。
もしくは、今はないけどそういうの見つけていきたいんだなど考えているのではないでしょうか?
夢とか目標とか堅苦しいというのであれば、仕事でもなんでもいいけどもやってみたいこととか、できたらいいなとか何となく思っていることでもOK。
とにかく、今現在の自分からちょっと背伸びをして取り組んで形にしたいことを思い浮かべてください。
どれくらいの熱量があるかは、人によって違うと思います。
ですが、達成できる人とできない人の差は、実はこんな些細な一つのことだと僕は考えています。
すなわち「自分自身にどれだけ期待をかけていますか?」という問いです。
人に期待されることの功罪
これを読んでくれているあなたは、人に期待されることをどう思っていますか?
おそらく2種類に分かれます。
・正直嫌というタイプ
・期待してほしいタイプ
です。
期待してほしいタイプの人の心理
期待を受けたいタイプの人は、声援をそのまま力に替えられる人なのだと思います。
人にかけてもらう期待のおかげで、高いパフォーマンスを発揮できるわけです。
スポーツの世界でものすごい結果を出している人なんかをイメージしてもらうと
わかりやすいかもしれませんね。
僕はサッカーをやってましたが、プロのサッカー選手なんていうのは、尋常じゃないくらい人からの期待を受けるわけです。
あれだけの大声援を受けながらプレーするのは気持ちがいいでしょうし、結果を出せば絶賛される。
こんな気持ちのいいことないでしょう。
他人の期待の正体
ですが、当然デメリットもあって、それが結果を出せなかったときです。
待っているのは、極端なところまで行くと大バッシングです。
これは恐怖に近いものがあるでしょう。
結局、他人がかけてくれる期待というのはどこか「(おれのために)期待してるよ!」ということだったりすることが往々にしてあるということなんです。
自分自身に純粋に期待し、結果を出すことを純粋に願っているというよりは、
そうして期待をかけて、結果を出してもらうことで「自分が」いい気持ちに
なったり得をしたりすることを願っていたりする。
そして、そのケースが大半と言えるでしょう。
人に期待されなくなっても続けられますか?
「人にうまいと言われたから、人に期待されているから」
こういう理由で行動を続けている人が僕の周りにもいます。
ですが、その「期待」とやらがなくなったとき、興味をもたれなくなった時、その行動を続けていくことができるでしょうか?
自分がそうだとしたら…ということを想像してみてください。
だから、自分で自分に期待しなくちゃいけない
人とのつながりは大切です。
自分一人で生きていけるなどと傲慢なことを言いたいんじゃありません。
「誰かの期待」がそれを目指す根拠になっているのが怖い、ということです。
決して人を信用するなってことでもないです。
だけども、どこまで言っても最終的に裏切らない、何があっても期待していて
くれるのは誰か?と考えたとき、はっきりと言えることは一つだけです。
それは自分自身です。
なぜなら、他人のことをぼくらはコントロールできないし、今まで述べて
きたようなことがあるからです。
どんな時でも自分自身に期待していてくれる存在。
それは自分自身だけです。
だから、絶対にそんな自分を見捨てるような真似をしてはいけないと僕は思っています。